(1)囲碁の歴史と用語


「囲碁エッセイ」

「囲碁エッセイ」は、宝塚市民囲碁協会の、「天元会」が発行している「天元会ニュース」に掲載したものです。一部文言を修正して協会のホームページに再掲載します。
(執筆者:小山敏夫)

囲碁エッセイ(1)



「囲碁用語を語源とする言葉の数々」

中国には、「囲碁4000年」という言葉があり、囲碁は、古代文明の発祥地、黄河流域が起源とされていますが、インド、チベット辺りとも言われ、確たる証拠はないようです。
 
 中国では、古くから君子のたしなみとして、「琴棋書画」を幼少時期から習わせる風習があり、「琴(きん)」は音楽、「棋(き)」は囲碁、「書(しょ)」は書道、「画(が)」は絵のことを指していて、立派な皇帝になるための帝王学の中には囲碁の勉強があったということになります。
 
 ある伝説によれば、紀元前2350年頃、堯帝(ぎょうてい)が囲碁を発明し、丹朱(たんしゅ)という息子があまり賢くなかったので、囲碁によって帝王学を学ばせるための躾の一つとして囲碁を創って教えたということです。しかしその教育はうまくいかず、堯帝は庶民出の舜(しゅん)を次の皇帝にしたとされています(儒教的な禅譲と言われるもの)。また碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、カレンダー、占いに使ったという話もあります。
 
 中国の古い書物(論語・孟子)等には囲碁のことが沢山書かれており、また紀元前770~前221年頃の春秋・戦国時代には、囲碁は戦略、政治、人生のシミュレーションゲームとして少しずつ広まっていったようです。日本でも人気のある「三国志」のもととなった『三国志演義』には、合戦で矢をうけ負傷した関羽が、医者から毒矢の傷の手当をうけた際に、麻酔のなかったこの時代に、気を転じるため、馬良(=仲間の武将)と囲碁をしながら治療を受けたという逸話が紹介されています。
 
 日本へは、奈良時代の遣隋使や次の遣唐使などを通じて伝播されていったようです(冒頭の切手写真は、正倉院蔵「木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)実際、古事記に記されている、イザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話では、天の沼矛(ぬぼこ)を、まだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって最初の島、「淤能碁呂島(おのごろじま)」(『日本書紀』では「磤馭慮島(おのころじま)」が誕生し、その島の名前に「碁」という文字が使われているのも当時すでに囲碁が打たれていた証左と言えます。
 
 このような古い歴史を持つ囲碁に関して興味深いのは、囲碁由来の言葉や囲碁と密接に関連した用語の多さです。私などは通常の囲碁で、「一目も二目もおく」先輩に、数目おかせてもらって打つのですが(相変わらず欠け目も多く、目こぼしの多いこと!)、この
 「目」の使い方は囲碁由来だと考えられます(また面白いのは、「目」と「眼」が用途によって区別されて用いられています)。
 
 まず、「囲碁」そのものの意味ですが、「囲」は囲む、「棋」は、漢音で「き」、呉音で、「ご」「ぎ」と読まれ、「囲碁・将棋・すごろくの類、こまを使って競う遊戯」と定義されています。そしてこの「棋」を分解すると、木と其に分けられ、音符の其キ)は、「整っている」という意味や、整然と線の引かれた囲碁・将棋などの盤の意味を表すとなっています(「碁」も「き」(漢音)と読まれ「棋」と同じ)。すなわち、囲碁とは、整然と線の引かれた盤を囲んで、碁石を使って競うゲームと言えます。

 さて、囲碁を語源とした言葉や、囲碁と密接に結びついた用語に移りますが、まず多用され応用頻度が高いのは、「駄目(ダメ)」でしょうか。囲碁では、黒の陣地と白の陣地の境界で、そこに打ってもどちらの陣地も増えも減りもしない「無駄な目」のことを「ダメ(駄目)」と言いますが、さらにその源を漢字の成り立ちに遡ると、「馱」には、①「のせる」、「積む」、「牛馬などの背に荷物をのせる」、②「荷物を運ぶ馬」、③「馬の背などにのせた荷物」、④「馬1頭に負わせる荷物の量を1駄として、その数量を数えるのに用いる」、といった意味があり、そこから様々な意味が派生していったようです。
 
 例えば、日本のみで用いられる意味に、①「はきもの」(例:下駄)② 荷物を運ぶのに使うだけで、乗馬に適さない所から、転じて、「値打ちのないもの、つまらないもの、無駄なもの」の意味を表す語(例:駄菓子、駄洒落・駄賃)などに派生していき、囲碁の「駄目」も同じ系統と考えられます。
 
 因みに、「勝負は下駄を履くまでわからない」という表現がありますが、この言い回しは将棋、もしくは囲碁由来の言葉ではないかという考え方があります。すなわち、日本では古くから玄関で履物を脱ぐという風習があり、「下駄を履く時」は「決着がついて帰る時」という意味であり、戦場ではなく、町人文化から生まれた言葉ではないかという説です。

 次は「劫」:
 相手と自分とが互いに一目の石を取ったり取られたりすること。取られたあと、すぐに取り返せない約束なので、一手、他の方面の急所にうち(=劫立て)、それに相手が応じたあと、一目を取り返し、一目を争うことこと(劫争い)。
 
 未来永劫や万劫(まんごう)という言葉がありますが、「永」という字は永遠、永久などで使われている通り、「とこしえに」という意味を持っており、それに「劫」という字がついています。「劫」は仏教用語で「ほとんど無限と思われるほどの長い時間の単位」です。それにこれから起こる「未来」という言葉を組み合わせてできたのが「未来永劫」。
 
 この「劫」に関連した「万年劫」があります。これが問題になったのは比較的新しく、1928年秋の日本棋院大手合2回戦で、瀬越憲作7(当時)対高橋重行3(当時)2子局に生じています。この手合いで、瀬越7段は碁が優勢だから「セキ」同然であると考えていたのに対し、高橋3段は未解決な問題が残されている以上、勝負は決してついていないと考えていた。互に相手の意中を忖度しながらダメをつめていったが、結局その碁はダメを全部つめて瀬越7段が打つところがなくなり、着手放棄を宣言したのであるが、高橋3段は、着手は権利でなく義務であると主張して譲らず、大きな問題となったもの。この現象はコミが曖昧で、ルールが成文化されていなかった時代の産物だと言えます。

征(しちょう):
「征」は「正」と同型。「まっすぐ進撃する」というのが原義で、「遠くへいく」、「旅にでる。兵力を用いてうつ(征服)」、「利益をとる」などの意味がある。遠征、出征など「征」のつく熟語が多いが、この語が、碁の手法の一つと結びついて用いられているのは興味深いところです。

打って替えし(うってがえし)
 原義は、「入れかわること。交替すること。ひきかえ」という意味で、 囲碁で、「自分の石一つを犠牲にして取らせ、その取られた石のあとに再び打って逆に相手の石の一団を取ってしまうこと。または、そうなる「石の形」を指すが、この用法も囲碁由来なのかどうか不明。

関(せき)
 原義は「門を合わせて閉じる」の意味で「堰」と同語源。「関所」、「物事をさえぎりとどめるもの」、「要所」、「相撲取りの最上位の者」などさまざまな意味があるが、囲碁では、攻め合いになった場合、先に石を打ったほうが打ち上げられる局面を指し、ともに「活 () き」だが「地 () 」にはならない。「閉ざされ、塞がれている」というニューアンスから生まれた用語なのでしょうか。

 最後に、持碁(じご):
 歌合わせや囲碁などで、勝負・優劣がつけられないこと(「引き分け、あいこ、もちあい、もち」)。「ジゴ」とカタカナで表記されることが多い。元々『玄玄碁経』の「囲碁三十二字釈義」では「持」とはセキのこととされ、ジゴには「芇(べん)」の字を当てており、『通玄集』にも「勝負なきを芇と云う」とあるが、歌合せにおける引き分けを「持」というのに倣って「持碁」の字を当てるようになったという。
 
 因みに歌合(うたあわせ)とは、平安・鎌倉時代、宮廷や貴族の間で行われた、和歌の優劣を競う文学的遊戯で、歌人を左右2組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び及び文芸批評の会。左右2組みに分かれた歌人が、多くはあらかじめ決められた題で歌を詠み、左右の一首ずつを組み合わせた一組み(=一番)ごとに、判者(はんじや)(=審判役の歌人)が歌の優劣を判定して左右の勝敗を競うもの。判者の判定は勝・負・持(じ)(=引き分け)で示され、判定の理由を述べた判詞(はんし)が付けられていた。

 以上が囲碁用語を語源とし、また囲碁と密接に結びついた言葉や言い回しの例ですが、中国から伝わった囲碁の用語やルールが、1300年の間に、日本独特なものに相当程度工夫され変化していったと思われます。

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